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カテゴリ:イスラエル+ヨルダン( 5 )


2013年 04月 06日

イスラエルまとめ。

イスラエル。

今まで行った国の中でも相当ぶっ飛んだ国だった。

ユダヤ人の歴史、ユダヤ教の歴史、イスラエルの歴史、パレスチナ問題。

どう頑張っても、ユダヤ人じゃない人間には理解できないと思った。




まずは旧約聖書までさかのぼる。


世界を創りたもうた唯一神。

神、ヤハウェ、エホバ、主、アッラー、全能の神。

呼び方は違えど、指すものは同じ。

ここではわかりやすく『神』と呼ぶ事にします。




ユダヤ教もイスラム教もキリスト教もできるずっとずっと前の話。


あるところに、アブラハム(アラビア語ではイブラヒム)という1人の男がいた。

のちに、神による人類救済の出発点として選ばれた預言者と言われる人だ。

あるとき彼は神の啓示を受け、約束の地カナンへ旅立った。

アブラハムには二人の息子がいた。

妻であり、異母妹でもあるサラとの間に子供ができなかった彼が、サラに使えていたエジプト人奴隷ハガルに産ませた子供、イシュマエル。

ちなみにこの時アブラハムは85歳。

その後、神の啓示通り、サラとの間にイサクが生まれる。

ちなみにこの時、サラ90歳、アブラハム100歳。

このイサクとイシュマエル、仲がいいわけもなく、結局サラが、ハガルとイシュマエルを追い出す形になった。

が、全ては神の啓示通り。

ユダヤ人は、このサラが生んだイサクの息子ヤコブ(またの名をイスラエル)の子孫であるといい、アラブ人は、エジプト人奴隷ハガルが生んだイシュマエルの子孫だと言われている。

ちなみに、アブラハムは175歳、イサクは180歳で亡くなったらしい。

アブラハムが実在したかどうか、信じる信じないは人それぞれだが、今日、パレスチナ自治区のヘブロンに彼のお墓があること、それから現在の歴史学者や考古学者の間で、アブラハムは現在のイラク南部で、裕福な遊牧民の家に生まれたという説が主流であることなどをふまえると、まぁ想像はしやすいかと。



アブラハムはユダヤ人とアラブ人の祖であり、ユダヤ人とアラブ人はもともとは母親は違えど兄弟だった。


それから何千年の間に彼らの子孫は増え、民族となり、そこからアブラハムの宗教と呼ばれる3つの宗教が生まれた。

だから、ユダヤ教、イスラム教、キリスト教は、同じ神を信じ、同じ預言者を信じている。

が、ユダヤ教はメシア、いわゆる救世主はまだ現れていないと信じ、それが現れるのを今も待っている。旧約聖書に従う。

キリスト教は、イエスこそがメシアだと信じている。旧約聖書と新約聖書に従う。

イスラム教は、イエスもモーセも神が選んだ何人かの預言者であると認めたうえで、その中のひとり、ムハンマドこそが最後にして最大の預言者、つまりはメシアであると信じている。ムハンマドが神のお告げとして書いたコーランに従う。

これが3つの宗教の違い。



エルサレム旧市街にある、岩のドーム。

黄金屋根のモスクが建ち、その手前には嘆きの壁。

ユダヤ教徒にとってもイスラム教徒にとっても、超神聖な場所。

ユダヤ教徒は、こここそが、アブラハムが神の啓示に従い、忠誠心を示す溜めに息子のイサクを生贄に捧げようとしたモリヤの山であると信じている。

結局は直前で神様が「わかったわかった、お前が本気だという事はわかったからもういいよ」ってことでイサクは無事だったわけだが。

3つの宗教が大きくなるまでの、ユダ王国やらバビロンやらペルシア王国やらローマ王国やらの歴史は割愛させていただくとして。

全ての始まりであるその神聖な場所に、紀元前10世紀、ソロモン王が建設したエルサレム宮殿(ソロモン宮殿)。

バビロニアにより滅亡させられ、神殿も崩壊したものの、紀元前515年にほぼ同じ場所に再び建設された神殿(第二神殿)。

紀元前20年にヘロデ王によって改築拡大された第二神殿だが、西暦70年、ローマ帝国軍らに破壊された。

この時残った西側の城壁が『嘆きの壁』。

現在、唯一残る神殿の一部であり、ユダヤ教徒にとっては一番の聖地。


一方イスラム教では、ここがモリヤの山であるとは認めてはいない。

彼らにとってここは、ムハンマドが一夜のうちに昇天する旅(ミウラージュ)をした場所とされている。

メッカのカアバ神殿から一夜のウチにエルサレム神殿まで移動して、神殿上の岩から、大天使ジブリール(ガブリエル)に伴われ、天馬ブラークに乗って昇天し、神アッラーの御前に至った場所だということで聖地になっている。

キリスト教にとってこの場所は特に神聖視されていないが、イエスが十字架を背負って歩き、息絶えたとされる道、ヴィア・ドロローサがあるため、エルサレムは今日、ユダヤ教、イスラム教、キリスト教の聖地となった。



さてさて、旧約聖書に従い、メシアが現れるのを待っているユダヤ人。

メシアが現れ、モリヤの山に第三の神殿が建つまで、この地に戻ってきてはならないという神の教えに従い、彼らは世界中に散らばって行った。

中東、ヨーロッパ、アフリカ、アメリカ大陸、アジア。

日本の皇室や、秦始皇帝までも実はこの時散らばっていったユダヤ人の末裔だという説があるくら、ほんとに世界中いろんな場所に散らばっていった。

土地を持つ事を許されず、ジプシーのような生活をしていた彼ら。

おかげで、もともと頭のいい民族だったのも手伝って、多くのユダヤ人が商人として成功していた。


ただ時代が悪かった。




時は第一次世界大戦後。

ヴェルサイユ条約により膨大な額の賠償金を払わなければならなくなったドイツは、国全体がひどい貧困に陥っていた。

さらにそれに追い討ちをかけるように起こった世界恐慌。

失業者が溢れ、食べるものにも困る貧困が広がっていった。

そこに現れたのがヒトラー。

「私に任せてくれれば、国民全員が車や家を買えるようになりますよ」と。

「経済を改善するには、ユダヤ人を排除すればいいんですよ」と。

皆が貧困に苦しんでいるなかで、満たされた生活をしていたユダヤ人。

よそ者が儲けていて、自分達が苦しんでいるという事実。

ユダヤ人を敵だと思うことに、抵抗もなければ、時間もかからなかった。

そうして始まったユダヤ人に対する迫害。

ヒトラー率いるナチスドイツ軍が周辺国を次々と侵攻していくにつれ、ユダヤ人迫害もヨーロッパ全土に広がっていった。

第二次世界大戦。

職を奪われ、家を奪われたユダヤ人たち。

もともとよそ者で、あまり好かれていなかったユダヤ人たち。

助けてくれる国はなかった。

迫害から隔離、そしてゲットーへと移動させられていった。

ゲットーでは番号のタトゥーを腕に彫られ、それが彼らの新しい名前となった。

劣悪な環境での生活、そして強制労働。

これ以上悪くはならないだろうといつも思うのに、事態は悪化し続けた。

食べ物もろくに与えられず、ゲットーで死んでいく人達。

骨と皮だけになった死体がごろごろ転がっている。

それをブルドーザーで集めていく兵士。

これ以上どうやって悪くなるのか、想像すらできなかった。


でもとうとうナチスはそこに辿り着いてしまった。



ホロコースト。



ゲットーから列車に乗せられ別の収容所に送られるユダヤ人。

収容所につくと、兵士による選別が始まる。

お尻の肉がかろうじてまだ残っている人は強制労働へ。

人体実験をする施設に送られる事もあった。

ユダヤ人を自由にモルモットとして使うことができたおかげで、ドイツの医療は飛躍的に成長した。

お尻も骨が浮き出ているような人はすぐにガス室に送られる。

お金になるものは全て没収された。服も、靴も、金歯も、髪の毛までも。

男も女もみんな丸刈りにされた。

シャワーだと言われ、服を脱がされ、男も女も子供も関係なく、地下の大きな部屋に誘導される。

ガスだ。

ここで初めて自分達が殺されるんだということに気づく。

でももうどうしようもない。

全てが終わると、強制労働にまわされたユダヤ人たちが、死体を運び出し、焼却する。

次の人達がシャワーだと言われ入ってくる。

ガス。

死体を運び出して焼却する。

次。

次。

繰り返し。



第二次世界大戦後半、負けつつあると悟ったドイツ軍は、証拠隠滅のため、次々と収容所を閉鎖していく。

生き残ったユダヤ人を雪の中歩かせる。

ひたすら歩かせる。

死ぬまで歩かせる。

死の行進。

この死の行進だけで10万人が死んだと言われている。


ホロコーストの犠牲者は600万人のユダヤ人を含む1100万人と言われている。



なんとか助かったユダヤ人たちも、もうそこに居場所はなかった。

かねてからアメリカのユダヤ人社会などで唱えられていた、「我々の生まれた地へ帰ろう、我々の国を作ろう」という動き。

我々の帰るべき場所へ帰ろう。

神の元へ。


しかし、十何世紀ぶりかに帰ったその地は、パレスチナという国になり、アラブ人が住んでいた。


状況も状況なので、国連と、当時パレスチナにいたイギリスによって、パレスチナをアラブ人とユダヤ人のエリアに分割する案が出された。

がしかし、それを拒否したパレスチナ。

「この神聖な場所を渡せるか」と。

「ふさけるな、ここは我々の土地だ」とユダヤ人。

「ここは我々の土地だ」とパレスチナ。

「拒否するなら力ずくで奪うまでだ」とユダヤ人。

「そっちが力ずくでくるならこっちも力ずくで応戦するまでだ」とパレスチナ。

どっちが最初に攻撃したかはわからない。

どちらも、「むこうがさきに仕掛けてきたんだ」と言い張る。

現在に至るまで、優勢のユダヤ人側と劣勢のパレスチナ人。

勢いづいたユダヤ人側は、国連が提案したエリアの外にも侵攻しはじめた。

そして1948年5月14日にイスラエル独立宣言。

周辺のイスラム国すべてを敵に回し、翌15日から第一次中東戦争勃発。

これに勝利したイスラエル軍。

更にパレスチナ人を追いやり、軍事力で押さえつけた。

これがパレスチナ問題。


ユダヤ人がパレスチナを侵攻した時に、追い出され、隣国に逃げ、難民となった人達をパレスチナ人と呼び、逃げずに残った人をイスラエルアラブ人と呼ぶ。

多くのアラブ人が逃げ込んだ、当時ヨルダン領だったウェストバンク、それからエジプト領だったガザ地区。

第三次中東戦争でイスラエルが侵攻し、今現在のパレスチナ自治区となった。

イスラエルアラブ人たちは現在、ユダヤ人と同じように、市民権を持ち、パスポートを持っている。兵役はない。

一方パレスチナ人たちは市民権を持たず、軍とパレスチナ自治政府の統治下に置かれている。

現在パレスチナ自治区とイスラエルの間には、地域によって差があるものの、争いの酷かった地域にはコンクリートの高い壁があったり、フェンスがあったり、有刺鉄線があったり、車に爆弾を積んでこれないように、車の往来を制限されている場所もある。

そうじゃない場所も、必ずチェックポイントがあり、アラブ人はチェックを受ける。



イスラエルには大きく分けて4種類のユダヤ人がいる。

もちろんイスラエル人の中にも右側と左側の人がいるわけで。

パレスチナ人を完全に追い出して、ユダヤ人だけの国を作ろうとする右側のユダヤ教徒。

ユダヤ教徒ではあるけれど、パレスチナとの友好関係を築きたいと思っている左よりの人。

ユダヤ人ではあるけれどユダヤ教徒ではない人。もちろん彼らは左側。

イランでは、全ての人がイスラム教徒だと決められているように、イスラエルでもユダヤ人は全てユダヤ教徒だと決められているらしいけど。

そして最後は、神の教えに従い、「我々の国はメシアが現れることによって創られるべきもので、人の手で創るものではない」と、イスラエルという国すら否定する超・超・正統派のユダヤ教徒。

多くの超超正統派の人達は海外に多く住んでいるんだけど、ホロコーストなんかで行き場を失った人達は選択の余地なくイスラエルに移住してきたらしい。


ユダヤ教徒の男性の独特のスタイル。

まず、正統派。

正統派の人達は、普通の服だけど、頭にキッパと呼ばれる丸い小さな帽子みたいなのを乗っけている。ちょうどカッパのお皿みたい。宗派によって柄が違うらしい。

超正統派の人は、黒いスーツに黒いハット。

そして超超正統派の人は、七分丈のズボンに同じ丈の白いコート。白い靴下。頭には、ロシアの帽子をさらに大きくしたようなでっかい帽子。

超正統派以上のおんなの人は男の人みたいな特徴的な格好ではないけど、だいたいみんな同じような格好をしてる。スカートに、既婚者はニットをかぶってる。

超正統派以上の人達は学校に行かない。仕事もしない。

ひたすらユダヤ教について学び、そして祈る。

生活費は政府からもらえる。


イスラエルの物価は日本と同じくらいか、むしろ日本より高いかもしれない。

それなのに給料は安い。

時給は良くて700円。

だから生活は苦しい。貯金なんてできない。

高いお金を払ってるのに、収入は少ない。

お金はどこに流れているのか?

超正統派の人達の生活費と、彼らを守るための軍事費。

若者の不満は募るばかり。

親元を離れてアパートでも借りようもんなら、家賃と食費だけで収入は消える。

それでも年配の人は言う。

「ユダヤ人はどこに行っても嫌われるから。私たちにはほかに行く場所がないから。この国以外どこにもないから。」




ここで代表的なユダヤ教の決まりを挙げてみようと思う。

イスラエルでよく聞く言葉『コーシャー(コシェル)』。

ユダヤ教の戒律に沿っている、適正な状態の事。


まずシャバットと呼ばれる金曜日の安息日。

ちなみにユダヤ教では日が沈んでから1日が始まる。

なので、金曜日ということは、金曜日の夕方、日が沈んでから、土曜日の日が沈むまでの事。

このシャバット、なにが何でも休まなければいけないという代物。

仕事が休みなのはもちろんの事、機会の操作もダメ、火を使うのもダメ、お金を触るのもダメ。

車も運転も出来なければバスにも乗れない。

バス、電車、国営航空会社も運休。

テロ防止でどこに入るにもセキュリティチェックを受けなければいけないイスラエルだけど、シャバット中は、金属探知機もX線検査もお休み。

料理もできないから、金曜日、日が沈む前までに全部作っておいて、シャバット中はそれを暖める専用のホットプレートのようなもので暖めて食べる。

電気のスイッチは付けてもいいらしいけど、火花が散ったらアウト。

とにかく家でご飯を食べる。あとは寝るぐらい?

テレビも見ちゃダメ、本も読んじゃダメ、電話もインターネットもダメ。


インドで友達のゾワと一緒にいたとき、彼女はユダヤ教徒ではないんだけど、ちょうど本を読み終わって、別のイスラエル人にお互いの読み終わった本を交換してもらおうとしたんだけど、その日は土曜日、シャバット中。

本の交換もできなかった。

おもしろいとこで言うと、なんとシャバット中はトイレットペーパーをちぎるのもだめらしい。

だからシャバット前に、1日分、トイレットペーパーをちぎって用意しておくんだとか。

急に下痢になって、予想以上にトイレに行く回数が多くなってしまったらどうするんだろうか、なんていらぬ心配をしてしまう。

人命に関わるような時にはこれを破ってもいいらしい。



それから食事についての決まりも多い。

決められたものを決められた方法で処理したものしか食べれない。

コーシャーフード。

反芻する動物しかダメとか、ウロコのない魚介類はダメとか。

レストランも、コーシャーのレストランとそうじゃないレストランに分かれていて、すぐわかるようになっている。

マクドナルドでさえも、コーシャーのマクドナルドと普通のマクドナルドが存在する。

それから、肉と乳製品を一緒に食べる事もコーシャーではない。

チキンの入ったクリームシチューも、チーズバーガーも、ベーコンの乗ったピザもだめ。

肉を食べた後は6時間以上あけないと乳製品を口にしてはダメだけど、逆の場合、乳製品を食べた後は3時間あければ肉を食べてもよい。

また、肉と乳製品をおなじ冷蔵庫に入れる事もダメなら、同じ食器を使うことも、同じシンクで洗い物するのもダメ。


ちょうど『ペサハ』というお祭りだったんだけど、このペサハ期間中は、イーストやグルテンの入ったものも食べてはいけない。

ペサハ用にイーストの入ってないパンや、マッツァーと呼ばれるクラッカーのようなものが売られる。

ペサハ中は、数々のマッツァー料理が作られる。

肉団子のようなマッツァー団子のスープやら、マッツァーの炒め物やら、デザートまでもマッツァーとチョコレートのケーキだったりする。

更にペサハ中には、家の中もコーシャーでなければならず、パンクズが落ちている事すら許されないので、ペサハ前には異常なほどの大掃除をするそうな。

スーパーなんかでもイーストやグルテンの入ったものを売ることは許されない。

普段ノンコーシャーのお店でもこの期間中は選択肢なし。


大変だったよ。

レストランもお店もどこも閉まってるし、開いてたとしても売ってるもの限られてるし。

挙げていったらキリがない、不思議な決まりたち。


もちろんこれはユダヤ教徒がすることで、ユダヤ教徒じゃないユダヤ人には関係ないし、アラブ人にも関係ないし、なかには日本の仏教徒ぐらいな軽さのユダヤ教徒もいるので、上に挙げたようなことを守ってるのは、だいたいイスラエル国内では50%ぐらいらしい。



とにもかくにも、日本人には理解できないことだらけ。

パレスチナ問題にしても、どうにもならない事がある。

今回の旅で、けっこうたくさんのイスラエル人とパレスチナ人と話せた。

どっちも明るくて、フレンドリーで、親切で。

みんないい人達だった。

多くの人達が平和を望んでいる。

友好関係を築きたいと願っている。

でもそこにはどうしても埋められない深い溝があった。

イスラエルとパレスチナの関係は、今はイスラエル軍が押さえているので、落ち着いているとはいえないものの、戦争はしていない。

でも少し前までは戦争をしていた。

ミサイル。爆弾テロ。

たくさんの民間人が死んだ。

みんなが、友人や家族を殺されている。


友達のゾワは31歳。

彼女も何人も友人を失っている。

彼女が仕事に行くときにいつも使っていたバス。

戦争中、同じ路線のバスが5回爆破された。

彼女はそのバスに乗っていなかったけど、乗っていた彼女の友人は亡くなった。


常に死と隣り合わせで、誰もが死を覚悟していた。

ただそれが、今日なのか、明日なのか、1週間後なのか、1ヵ月後なのか、その違いだけ。

周りで何人もの人が死んでいき、次は自分かもしれないという恐怖。

パレスチナ人も同じ。

個人的に恨みはないけれど、心からお互いを許し合う事はできない。

いつかは時間が解決してくれるのかもしれないけど、それにはまだまだ傷が新しすぎて、今もなお新しい傷が増えていて。

どうにもできない深くて悲しい溝があった。


戦争を経験してない人間に経験した人の気持ちなんてわからない。

どれだけ知識があっても、理解する事はできない。


ただただ平和を祈るばかり。



以上。

イスラエルで聞いた話、調べた事、思ったこと、いろいろまとめてみました。

歴史上の話は、かなりはしょったりしたので、多少の間違いや時間のずれはあるかもしれませんが、そこは多めに見てください。

だいたいこんな感じだと思っていただければ。

聞いた質問、歴史のことやら政治のことやらバカなことまで、全てに答えてくれた物知りゾワに感謝します。

by aya-papaya | 2013-04-06 03:55 | イスラエル+ヨルダン | Trackback | Comments(0)
2013年 03月 31日

ヨルダン1週間。

ヨルダンは常に周りに日本人がいたなー。

サッカーあったからねー。

イスラエルにいたほとんどの日本人がヨルダンに集結したからねー。

エルサレムからイスラエルの最南端、エイラットにバスで向かい、国境を越えてヨルダンの町、アカバへ。

エイラットのバスターミナルから国境までタクシーで30シェケル。

イスラエルの出国税105シェケル。

国境からアカバの町までのタクシー11JD。高すぎ。ちなみに逆の町から国境までは5JDで行ける。


覚悟して挑んだイスラエル出国は、あっさり過ぎて拍子抜け。

荷物チェックも何もなく、超フレンドリーなスタッフで、5分で終了。

人もぜんぜんいなかったおかげで国境越えはさっさと終了。

がんばってぺトラまで行こうと思ってたんだけど、まったく考えても見なかった時差1時間。

ギリギリ間に合うと思ってたぺトラ行き最終バスはもうなかった。

迷った挙句、アカバで一泊することに。

エルサレムでイブラヒムおじいちゃんの家に一緒に泊まってたアキ君と、ビーチでエイラットの夜景を見ながらまったりシーシャ。
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そうそう、オバマ大統領が明日(金曜日)来るからぺトラ閉まるらしいという噂を聞いて、そりゃまずいとインフォメーションセンターに確認に行く。

インフォメーションセンターの人曰く、大統領は日曜日に来るから明日と明後日は大丈夫だよと教えてくれた。

あー良かった。

翌日のバスの時間を聞きにバスターミナルに行ったら、タクシー運転手のしつこいこと。

明日は金曜日だからバスはない!タクシーでしか行けない!の繰り返し。

イスラム教徒は金曜日がお休みです。

近くにいた人が、バスの運転手に電話をして、明日朝8時半にぺトラ行きのバスがあるよと教えてくれる。

いい人もいた。


翌朝、早起きして8時にバスターミナルへ。

おータクシーのオヤジ達がたむろってる。

ある人は、今日はバスはない!

ある人は、あと3時間はバスがない!

ある人は、あと10分でバスがくる、と。

バスが来ることを信じて待つも、一向に来る気配なし(笑)。

も~誰を信じていいかわかりません。

結局10時頃、バスを諦めて乗り合いタクシーでぺトラに向かいました。

最初の言い値は7JDだったけど、5だったら行くけど、それ以上ならバスを待つ!って言い張ったら5JDになった。

2時間後、ぺトラのある町というか村、ワディ・ムーサに到着。

とりあえず宿にチェックイン。

ぺトラは広い。

できれば1日じっくり回りたい。

がしかし、宿のオーナー曰く、明日オバマ大統領が来るからぺトラ閉まるよ、と。

えっ、明後日じゃないの!?

も~ほんとに誰を信じていいかわからない(爆)。

でもどうやら宿のオーナーが正しいらしい。

明日行けないなら今日しかないじゃん!

急いで行った。

疲れたよー。

途中で諦めようかと思ったけど、一番奥までひたすら歩いたよね。

某ガイドブックには確か所要3時間ぐらいって書いてあった気がするけど、2時間で到着したよね。
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砂嵐がすごくて、カメラのレンズと、それから左目がやられたよ。

できれば風の強くない日に朝からゆっくり観光したかったね。

50JD(55ユーロ)というバカ高い入場料。

ヨルダン人はたったの2JDという、政府が外国人から正規にボッたくるこのいやらしさ。

ヨルダン嫌い。


翌日、ヨルダンの首都アンマンへ。

イスタンブールで初めて知った、サッカーヨルダン戦。

せっかくヨルダン行くんだし、見に行くべきっしょ。

町を歩けば日本語が聞こえてくるぐらい、かなりの日本人がアンマンに集結したよ。

宿もいっぱい、ソファでも床でも人が寝てた。

試合の数日前にアンマン入りしたおかげで、ウチはベッドにありつけたけどね。

試合は残念ながら負けてしまったけど、楽しかった~!
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帰りにスタジアムの外で、勝って調子こいてるヨルダン人サポーターの罵声にキレそうになりながら、疲れ切って帰ってきた。

明日はイスラエルに帰る日。

のはずだったのに…。

なんだかおかしなノリになってきたこの3人(爆)。
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ウチ以外、誰もワディ・ラムに行きたいとか言ってなかったのに。

もう明日帰るねって友達のゾワにメールしたのに。

サッカー前に行けたら行こうと思ってて、結局行けなくて諦めたのに。

いや、ワディ・ラム行かないとかありえないっしょ的なノリで、ウチのイスラエル行きを阻止しはじめた(爆)。

もうそうなったら流されやすい岐阜県民のこのアタイ。

気持ちはグラグラですよ。

どーしよーどーしよーどーしよー、そりゃ行きたいけど、前からゾワにサッカー終わったら帰ってくるねって約束してたしー、でもワディ・ラム行きたいと思ってたしー。

しかもこの3人、本気なのか冗談なのかわからん(笑)。

結局、ワディ・ラム行ってきましたよ(爆)。

悪ノリから始まったのこ砂漠珍道中。

感想は、、、行って良かった!!

うん、ウチって単純。

ワディ・ラム、ヨルダンでのハイライトになりました。

砂漠についてさっそく夕日。
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砂漠の中にある、ベドウィンキャンプで1泊。

砂漠のベドウィン料理。砂釜でのグリル!
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食後の団欒。
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砂漠で満点の星空を!!のはずが、なんと満月。

明るすぎて満天の星空はどこへやら。

計画性のなさが浮き彫りに(爆)。
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翌朝、うっすら朝焼けと満月。

魚眼ではこれが最大ズーム。
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超楽しかったジープツアー。
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1週間ヨルダン満喫。


昨日イスラエルに戻ってきました。

by aya-papaya | 2013-03-31 01:12 | イスラエル+ヨルダン | Trackback | Comments(2)
2013年 03月 31日

イスラエル前半1週間。

エルサレム旧市街

キリストが十字架を背負って歩いた道ヴィア・ドロローサを、同じように十字架を担いで回る、言ってしまえばアトラクション。

敬虔なキリスト教徒の方々がやってます。

判決を受けた場所、十字架を背負わされた場所、最初につまずいた場所、2度目につまずいた場所、3度目につまずいた場所、などなど、それぞれに番号がふられていて、1番の判決を受けた場所から最後の14番の埋葬されるまで、順にたどって行くらしい。
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聖墳墓教会。

ゴルゴダの丘だと言われている場所。

イエスが十字架を背負って歩いて、到着した場所。
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嘆きの壁。

ユダヤ教の聖地。

もともとはユダヤ教の神殿が建ってた場所。

昔々にローマ軍によって破壊され、唯一残ったのが神殿を囲んでいた西側の壁。

これが嘆きの壁。

神殿なき今、神殿の一部であるこの壁が、彼らにとっては一番聖なる場所なんでしょう。

そんな超神聖な神殿跡地にデデーンと黄金屋根のモスクをブッ建てたムスリムに対して怒る気持ちはわかる。
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残念ながらこの嘆きの壁、男性と女性のエリアが分かれてるので、ワタシ、絵になる男性側には入れません。

さらにまったくもって自分の不注意で標準レンズを天国行きにしてしまい、今や魚眼レンズのみのウチには(爆)、どうがんばっても広角写真しか撮れず、なんとも歯がゆい思いをしております。

みんなズームレンズでかっちょいい写真を撮ってるのに、アタイ一人魚眼でガンバッテル。

でもゲンカイ。

ま、それは置いといて。


パレスチナ自治区

ベツレヘム。

キリストが生まれたとされる場所に建つ聖誕教会。
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この地下で産まれたらしい。

すごい行列で時間がかかりそうだったので、並ぶのは諦めて、出口から写真だけ(笑)。
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ミルク・グロット。

マリアが生まれたばかりのイエスに母乳を与えていた場所らしい。
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パレスチナの町並み。
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ユダヤ人の住むイスラエルと、パレスチナ人の住むベツレヘムの間にある壁。

パレスチナ側に描かれた平和を願うグラフィティアート。
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ヘブロン。

超物価の安いヘブロン。

エルサレムではだいたい15シェケルぐらいするファラフェルが、ヘブロンではなんとたったの3シェケル!!

一応同じ国なんですけどね。
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下はパレスチナ人のバザール。

上はユダヤ人の住む家。

それを隔てる金網。

パレスチナ人側がユダヤ人の家に石やら危険なものを投げ込めないように張った金網らしいけど、そこにはユダヤ人の投げた石やら窓から捨てたゴミやらがたくさん。
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こっちはパレスチナ側。

向こうはユダヤ人側(上だけ)。

有刺鉄線とゴミの山。
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めっちゃ人懐っこかったパレスチナ人の女の子。
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ヘブロンのパレスチナ人たちはみんなとにかくフレンドリーだった。

銃を持った兵士がうじゃうじゃいて、しょっちゅういきなり兵士が家にずかずか入ってきたり、しょっちゅう催涙弾やらなんやらが飛び交うとこだけど、とってもフレンドリーな人たちだった。

いろいろ案内してくれた彼。

ま、案の定最後にドネーションを請求されたけどね。
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ヘブロンの、パレスチナ側とユダヤ人側をつなぐゲート。

ここで一人ひとりセキュリティーチェックを受けます。
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超賑わってるパレスチナ側とうって変わって、ゴーストタウンのようなユダヤ人側。
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ユダヤ人側のシナゴーク。
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同じ建物の左側はモスク、右側がシナゴークという不思議な場所。

ヘブロンの異様さは、写真じゃうまく伝えられない。

雰囲気と言うかなんと言うか。

ヘブロンについては、詳しく友達に聞いてみようと思います。


以上、イスラエル前半は終わり。

by aya-papaya | 2013-03-31 00:14 | イスラエル+ヨルダン | Trackback | Comments(0)
2013年 03月 25日

おもしろイスラエル。

とうとう来たよ、イスラエル。

ものすごく行きたかった国のひとつ。

ユダヤ教とキリスト教とイスラム教の聖地。超聖地。スーパー聖地。


インドで出会い、ネパールで再会したイスラエル人の友達ゾワに、3年ぶりに再開しました。

深夜の到着だったにもかかわらず、空港まで迎えにきてくれて、そのまま彼女の家に。

翌日、北のほうにあるガリラヤ湖へドライブ。

夕方からはガリラヤ湖近くのゾワの友達の家へお邪魔して、新しいローマ法王の登場をライブで見守る。

3日目、ゾワが南のベルシェヴァという街にある大学で講義があると言うのでついて行く。

ベルシェヴァまではハイウェイで1時間半。

講義が始まるのが8時半なので、7時前に家を出た。

ゾワが大学にいる間、ウチはベルシェヴァよりさらに南の砂漠へ行く計画を立ててた。

がしかし、北から南へ行くハイウェイ6号線で事故発生。

まったく動かなくなってしまった。

上下線とも完全にクローズしてるらしい。

止まること30分、のろのろ動き続けたはいいものの、延々とノロノロノロノロ。

しばらく進むと、全ての車がUターンポイントでUターンしていく。選択肢なし。

開通の目処が立ってないらしい。

しかたなくUターンしてしばらく戻ってから別の道へ。全ての車がその道路に集中するから大渋滞。

さらなる事故発生のニュースも。

まーとにかくベルシェヴァに到着はしたものの、3時間遅れの到着。

後日ようやく判明したんだけど、ガソリン積んでたトラックが横転して、ガソリンが漏れていたとの事。

ドライバーは無事、引火することもなかったけど、そりゃ道路完全に閉鎖するわな。

砂漠に行く時間がなくなってしまったウチは、結局ベルシェヴァの街をブラブラしてた。

暑さに耐えられず、マックでサンデーを食べてた。

いきなり警察が来てマックのスタッフも客もみんな店から追い出された。

イスラエルでは日常茶飯事らしい。

持ち主不明のカバン発見 → 爆弾の可能性大 → 非常線を張る。

荷物をベンチに置いてトイレ行った日には、まわりに多大なる迷惑をかけることになる国イスラエル(笑)。

夕方は、ゾワと一緒に講義を受けた彼女の友人イールの妹の家が近くにあると言うことで、そこにお邪魔した。

妹さん、日本のどこから来たの?って聞くから、岐阜ってとこだけど、誰も知らないよって言ったら、岐阜!3年前に行ったわよ!って(笑)。

なんでも、仕事で日本に行った時、その会社の支局が岐阜にあったらしい。

岐阜なんてたいてい外国人知らないのに、まさか行った事のある人に出会うとは。

ご飯をご馳走になり、ゾワ宅に帰宅。

寝不足続きで、4日目はゆっくり寝ることに。暑い。とにかく暑い。

暑くて出かける気にもならない。

この日、暑さで、30歳の女性が一人亡くなったらしい。

二人で意を決して、ゾワのずーっと洗ってない車を徹底的に洗った。

キレイになったー。

そして午後は、二人で、隣に住むゾワの家族、近所の人とゾワの友達にディナーを作ることに。

ゾワの指導のもと、Light Dinnerと彼女は言い張る、大量の料理を作った。

肉をふんだんに使わなければ量に関係なくLight Dinnerらしい。

チキンステーキもあったけどね(笑)。

サラダ3種類に、チキンステーキに、ニョッキに、ベイクドポテトに、ガーリックトーストに、あとなんだっけーとにかく沢山。

イスラエルは基本的に、大量に作って、何日かかけて食べきる感じらしい。

だから、冷蔵庫の中は常に料理でいっぱい(笑)。

5日目、翌日からゾワは1週間アーミーに行く。

これは説明すると長くなるんだけど、イスラエルでは男女ともに徴兵があって(女子は全員ではないらしいけど、けっこうな割合で女子もアーミーに入る)、その期間が終わっても、任意で続けたい人は定期的に訓練や勉強会みたいなのに参加することが出来るらしい。

長いことやってるとけっこういい給料がもらえるらしい。

ま、そういうことで、彼女は1週間アーミーに行かなければいけないので、その期間を利用して、エルサレム観光、そしてヨルダンに行くことに。

その日は、ゾワの車で、ゾワ、ゾワの友達、ウチの3人でエルサレムへ。

旧市街の観光。

さすが物知りゾワ。素晴らしいガイドをしてくれました。

夜は、エルサレムに住んでるゾワ友達、ベルシェヴァで一緒に一緒に講義を受けたイールのお家に泊めてもらった。

6日目、噂のイブラヒムハウスへ。

旅人に有名な、平和活動をする、バレスチナ人ベドウィンのイブラヒムおじいちゃん。

家を旅行者に解放してる。

宿ではなく、あくまでおじいちゃん家なので、宿泊費はドネーション制。

毎日3食以上(笑)のご飯が付いてくる。

イブラヒムおじいちゃんの口癖。 Welcome! Eat!

とにかくたくさんの食べ物が出てきます。24時間食べ放題です。

そこを拠点に、結局4泊、エルサレムとエルサレム近郊を観光した。

イスラエル人は行くことの出来ないパレスチナ自治区。

ゾワは行けないので、一人のうちに行っておこうと。

キリストが生まれたとされるベツレヘム。

聖誕協会。

それから、パレスチナ自治区とイスラエルの国境にあるコンクリートの壁。

ベルリンの壁もこんな感じだったのかな。

パレスチナ側の壁に書かれてる平和を願うグラフィティアート。


パレスチナ人とユダヤ人が暮らすヘブロン。

パレスチナ人の暮らす建物とユダヤ人が暮らす建物を隔てるフェンスと有刺鉄線。

たくさんのパレスティナ人が暮らす中、へブロンに住む450人のユダヤ人を守るために配属されてる3000人の兵士。

異様な光景。

今のイスラエルとパレスチナの関係が縮尺されてる町ヘブロン。

いやーすごかった。なんか、とにかくすごかった。


そんな感じでイスラエル前半終了。


いざ、ヨルダンへ。

26日、日本代表対ヨルダン代表の、ワールドカップ、アジア最終予選を見るために。

by aya-papaya | 2013-03-25 01:48 | イスラエル+ヨルダン | Trackback | Comments(2)
2013年 03月 25日

イスラエル入国について。

現在、旅行者に対しては、全ての国境でパスポートにスタンプは押さなくなったみたいです。

押して欲しかったんですが、お願いしても、システムが変わって押さなくなったんだの一点張りで押してくれませんでした。

代わりに、写真入りのIDカードを作られて、それにスタンプを押されます。

出国の時にカードのチェックは特になし、回収されることもありません。

出国スタンプは別紙に押されます。

イスラエルからヨルダンに陸路で抜ける場合は、ヨルダン側の国境で別紙に押して欲しいと伝えないと、パスポートに押されます。

エジプト - イスラエル間の陸路国境は未確認ですが、もしエジプトへノースタンプで入国できるなら、旅がしやすくなるかもしれませんね。



追記。

まだすべての国境に浸透していないらしく、空路もしくはヨルダンからのキングフセイン橋の国境以外では以前と同じく言わないとパスポートにスタンプを押される可能性です。
2013.3.29

by aya-papaya | 2013-03-25 00:35 | イスラエル+ヨルダン | Trackback | Comments(0)