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カテゴリ:ボリビア( 14 )


2018年 06月 06日

コパカバーナ。

ボリビア最後の町コパカバーナ。

ようやくチチカカ湖とご対面。
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山に登ってぼーっとしてたらハチドリ!

動き早すぎて唯一撮れたのこの1枚。

わかる?
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緑色の。



翌日、月の島と太陽の島に行ってきた。

インカ帝国の始まりと言われてる2つの島。

でもおとぎ話でしかなく実際歴史的にどうなのが気になるところ。


月の島の神殿。
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滞在時間1時間。


太陽の島に移動。
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太陽の島から見る月の島と、ボリビアの山。
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2時間ほど島を歩く。
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なんか前までは島の北にも船で行けたんだけど、ニュースにはなってないけど韓国人の女性が殺されたとかで、今は島の北には入れなくなってる。

だからホントは北から南までトレッキングしたかったんだけど、諦めました。


なんだかんだ全部で2ヵ月くらいいたボリビアがこれで終わり。

ボリビア安いし、ご飯もおいしいし、何気に見どころいっぱいあるし、けっこう好き。

なんかまた戻ってくる気がする。


ボリ飯がまずいという旅行者は一体何を食べていたんだろうと不思議に思う今日この頃。

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by aya-papaya | 2018-06-06 23:13 | ボリビア | Trackback | Comments(0)
2018年 06月 05日

ラパス再び。

ラパスに戻ってきた。

なんか好きだなーラパス。

スマホ取られたけど。

懲りずに同じ宿に泊まる。


ブラブラ町歩き。
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なんのカーニバルかわかんないけど、カーニバル。

凄い規模で、朝から夜まで途切れないパレード。

ずらっと写真並べます。
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見ごたえ満点。


ラパス郊外。
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ロープウェイも乗って。
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あと楽器博物館に行ってきたんだけど、楽器好きのウチとしては超楽しかった。

あれだけじっくり見て回るひとはたぶんあんまりいないと思われる(笑)。


ミュージアム通り。
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なーんか居心地いいんだよね、ラパス。


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by aya-papaya | 2018-06-05 07:55 | ボリビア | Trackback | Comments(0)
2018年 06月 02日

スクレ。

サンタ・クルスとスクレの県境のガス田の所有権を巡って道路封鎖デモが続いたスクレ。

天然ガスが豊富でボリビア一の農業地帯でもあるサンタ・クルスに新たなガス田の所有権まで取られて、懐的にもプライド的にも苦しい一応首都のスクレ。

特にこれと言った見どころがあるわけでもなく、大きな産業があるわけでもなく、首都機能もラパスに取られ、なんだか可哀そうにすら思えてくるスクレ。

2週間にも渡った道路封鎖は観光業にも大打撃。

結局自分たちで自分たちの首を思いっきり絞めてしまった。

もうちょっと上手く頑張れよ、スクレ。



って事で、サンタ・クルス近郊で予定以上に時間を潰せたこともあって、ようやくスクレ行きのバスが通常運行するようになった。

1泊だけになっちゃったけどスクレ行ってきました。


市場。

カゴと野菜はセットらしい。
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街中。
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坂道登ったミラドールから。
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ミラドールに行く途中にたまたま通りがかったインディヘナアートミュージアム。

25ボリしたけど、布好き織物好きの自分としては入らないわけにはいかず。

ミュージアム内は撮影禁止だったから写真はないけど、むっちゃ良かった!

ボリビアのそれぞれの民族の、それぞれの織物。

マジで芸術。

昔のものから、最近の大作まで。

1人テンション上がりまくりでした。


ショップ内でデモンストレーションをやってて、実際に織ってるところを見れる。

ちょー細かい作業。

なかなかのお値段だけど、作業見てたら全然安いと思える果てしなさ。
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我慢できず、ちっちゃいの買っちゃった。



後は、スクレの有名なチョコレート、お土産用にウユニの塩のチョコレートを購入。

なんか1泊だけだし普通の観光客っぽい事したスクレでした(笑)。



移住地の記事に比べると手抜き感半端ないね今回(笑)。

通常業務に戻りました、はい。

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by aya-papaya | 2018-06-02 11:51 | ボリビア | Trackback | Comments(0)
2018年 05月 30日

サン・フアン。

ここサンタ・クルス近郊にはオキナワと、もう一つサン・フアンという2つの日本人移住地がある。

サンタ・クルスからモンテーロまで行き、そこから東に40分行くとオキナワ、西に1時間半行くとサン・フアンがある。


サン・フアンにも資料館があるので行かねばと思い情報を収集していると、過去にサン・フアンに行った旅人のブログがいくつか出てきた。

その人は、宿があるかどうかわからず、最悪野宿も視野に入れながらとりあえず荷物を持ってサン・フアンに向かったらしい。

サン・フアンに着くとやっぱり宿はなくて、日本食屋さんでどこか泊まれるところがないかと聞くと、米倉さんというお宅に電話してくれて泊めてもらえることになったらしい。

別のブログでも米倉さん宅に泊めてもらったというのを読んだ。


移住された方のお宅に泊めてもらえるなんてなんと羨ましい!

ウチも米倉さんのお宅に泊まりたい!!


オキナワの資料館に行ったときに思った。

資料館に行くだけじゃ、直接移住された方から話を聞くのは難しい。

村中歩きまわって日本人っぽい人に手当たり次第に話しかければどうにかいけるかもしれないけど、そんな度胸と気力はウチにはない。

お家に一晩泊めてもらえれば、ゆっくりじっくりお話が聞けるということ。

しかも米倉さん宅に泊めてもらった人はみんな日本食をご馳走になってるではないか。

もー羨ましすぎる。


が、しかしどうやって?

いきなり行って、米倉さんちを探して、ピンポーン今日泊めてもらえませんか?って言う?

それとも先人と同じように、同じ食堂に行って白々しくどこか泊まれるところありませんか?って聞く?

どっちもキビシー。

そんな厚かましくなれる勇気はウチにはない。

大学生の男の子とか若さ余ってる感じの子だったら許されるかもしれないけど、いい歳したウチには出来ましぇん。


オキナワにも1軒だけ宿があったから、サン・フアンもたぶん何かしらあるでしょ。

普通に宿に泊まって日本食屋に通って、運よく一世の人に会えれば話を聞くっていうのが無難か。

でもほんとに宿があるんだろうか。

行って無ければ勇気を出して厚かましくなるしかないか。

いやーでも、サン・フアンで宿に泊まったって人のブログかなんかないかなーと遅いネットで朝起きてから必死に探してたら。


なんと!!!

Air bnbで米倉さんち発見!!!

奇跡!!!

昔登録した気がするけど、使ったことないしパスワードとか覚えてないし!

慌ててメンバー登録し直してメッセージを送った。

急で恐縮ですが本日の宿泊は可能ですか?????

すぐに返事が来て、大丈夫ですよ、と。


よしっ!よしっっ!!

なるようになる。

なるべくしてなってる。

念願の米倉さんのお宅に泊まれる!笑


1泊分の荷物をまとめてサン・フアンに向かった。
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村の中心の広場には、サン・フアン移住計画の創設者である西川利通氏の像。
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ここで簡単にサン・フアンの歴史。

1950年初頭、農業改革などを掲げていた当時のボリビア政府が、国内の労働力不足を補うために他国からの移住者誘致に積極的な姿勢を取っていた。

当時日本で製糖業を営んでいた西川利通氏は、このボリビア政府の政策に注目し、ボリビアに進出して製糖業を興す希望を持ち、1954年、外務省の指導を受けて、ボリビア国サンタクルス日本人移住計画を起案し、サンタ・クルスにサンタクルス日本人農業協同組合を設立。

1955年、西川氏の呼びかけに集まった14家族、88名がボリビア、サン・フアンに入植。

この88名は、移住協定以前の移住者なので、0次移住者、又は西川移民と呼ばれる。

1956年にボリビアと日本の間で移住協定が調印され、翌1957年に日本全国で公募した政府計画第一次船団25家族159名が入植。

以降、集団移住は1064年の第17次まで続き、その後も1992年1月の移住計画打ち切りまでに、家族または個人の移住が53次にわたり、302家族、1684名が入植。


入植当時のサン・フアンもコロニア・オキナワ同様原生林であり、森を切り拓くことから始めなければならなかった。

労働の過酷さや、降り止まない雨と言った環境の悪さから、多くの人は日本に戻って行ったりブラジルやアルゼンチンへ移住していった。


1960年代前半にはボリビア国内有数の米の産地となる。

また、養鶏組合が発足。

1960年代後半には米と大豆の機械化農業と養鶏を中心とした、営農形態が出来上がる。

1990年代には鶏卵取扱数量が国内総生産の3分の1を占め、ペルーへの輸出も開始。

現在では養鶏、米、大豆、柑橘類の栽培で、ボリビア国内有数の生産地となっている。



とまぁ、オキナワ同様、過酷な環境から国内トップクラスの農業地帯へと成長したサン・フアン。




村のメインストリートにある小料理伊藤で米倉さんのお宅の場所を聞く。

すいませーん。ちょっとお聞きしたいんですけど、米倉さんのお宅ってどの辺りですか?

ここの裏の道入ってって一番最初にある二階建ての家ですよー。

注)ここはボリビア。


米倉さん宅は豪邸だった。

米倉さん宅に限らず、サン・フアンの日本人のお宅はどこも立派だった。


娘さんのカリーナさんが出迎えてくれ、部屋に案内してもらった。

安宿を泊まり歩いてるウチには立派すぎる部屋です。


お母さんが、お饅頭とヨモギ餅を作ると言うのでお手伝い。

と言っても和菓子のプロのお母さんの手際の良さは、こっちが下手に手を出す方が邪魔になりそうだったので、終始見てるだけ。

翌日、サンタ・クルスで日系人の集まりがあるらしくそこに持っていくお菓子を作るんだそうで、その数200個くらいあったかも。

これがお母さんのお仕事です。

おまんじゅうを作りながら話好きなお母さんは、子育ての話やサン・フアンのいろんな事を教えてくれた。

なかなか興味深かったのは、たまたまそういう話になったんだけど、移住地で人が亡くなったとき。

サン・フアンは日本全国からの移住者がいるので、宗教もそれぞれ。

長崎出身の方が多いらしく、キリスト教徒の方も沢山。

仏教や創価学会も。

日系人の牧師さんも、お坊さんもいらっしゃるらしく、人が亡くなると、なんら日本と変わらない方法でそれぞれの宗教に沿ってお葬式を行うんだそう。

もう、ここはボリビアなんだよなーと不思議な感覚に陥るの辞めました(笑)。

はい、ここは日本です。


お饅頭を並べる簡単な作業だけ手伝わせてもらった。

夕ご飯一緒に食べましょうと、特別に夕食もご馳走になることに。

時間ないから手抜きで適当に作るからごめんねーなんて、その日の夕食はマス入りかき揚げ、大根おろし、オクラのお浸し、蒸し鶏、ワンタンスープ、サン・フアンのお米、そして出来立てヨモギ餅。

十分豪華すぎですよ。

もちろんNHKの朝ドラは家族そろって見ます。

始めてみたけど面白いね(笑)。

日本国内でマイナーな県ベスト5には入るんじゃないかと思われる岐阜がこうやって地球の裏側にまで届いてるってのがなんとも非常に感慨深い(笑)。

まだあるから遠慮なくいっぱい食べてねなんて言われながら、NHK横目にずらっと並んだご飯食べてると、日本の親戚の家に久しぶりに遊びに来たような、そんな雰囲気に浸った。


食後、お父さんとお母さんとお茶を飲みながら話をした。

当時、ボリビアに限らず南米の他の国とも移住協定はあったけれど、例えばブラジルは即労働力になる移民を求めていて、全家族16歳以上でなければならないとか職業が限定されたりという規定があったりと厳しかったそうで、それに比べボリビアは緩く、オキナワのように抽選になることもなく、応募すれば誰でも行けたそうだ。

北は北海道まで全国からの移民がいるが、九州、その中でも長崎県民が一番多いのは、やはり戦争のダメージが大きく貧しかったからだそう。

お父さんは6歳の時に家族でボリビアに移住。

移住当時の事やそれまでの事はほとんど覚えてないらしく、そこまで日本への執着はないんだそう。

お母さんはその数年後小学1年生の時に家族と移住、当時の記憶ははっきりと残っているそうで、その話をしてくれた。

小学校の運動会の日、毎年上の兄弟の運動会の日は家族皆で観戦してお弁当を食べていたのに、小学校1年生、初めての運動会を楽しみにしていたら、両親とも忙しいから今年は行けないといわれて、一人寂しくお弁当を食べた。

家に帰ると大きなドラム缶に両親が服やら家財道具やらを詰めていて、何事かと聞くと、これから家族でボリビアという国に住むんだ、とその時初めて教えられた。

訳が分からず、とにかく行きたくないと泣きじゃくったそうだ。


長い旅を終え、サン・フアンに到着すると、ものすごい数の蚊が纏わりついてきて、今度は下の妹が日本に帰りたいと泣きじゃくった。

幼い娘をどうにかなだめようとする母親もまた目に涙を浮かべていた。


それでもお父さん曰く、小さい子供は適応能力も高いので、すぐに環境には慣れたそうだ。


日本に置いてきたおばあさんの事、病気がちで、結局移住した数年後にはお亡くなりになったてしまったそうで、そんな親を置いてもボリビアに来ようと決断した両親の葛藤、移住して数年後に母親自身もまた病気で自分たち子供を残して亡くなってしまった無念さ。

自分が長くないとわかっていた母親が、短い時間で教えられることをすべて子供たちに託したこと。

おかあさんの和菓子作りもそうやって母親から仕込まれたそうだ。


移住すると1家族それぞれ50ヘクタールずつの土地をボリビア政府から無償で与えられたそうで、まず木を切り倒し、家を作り、それから畑を作っていった。

蚊は多かったけど、マラリアやデング熱といった病気もなく、コロニア・オキナワのように風土病が出ることもなく、日本から持ってきたいろいろな苗を植えた。

機械農業が始まってからようやく、安定した生活が送れるようになった。



すごい話を生で聞いてる。

歴史の教科書に載ってるようなことを、実際に経験した方たちから直接話を聞けること。

本当に自分はラッキーだと思った。


久しぶりに熱々のシャワーを浴びて(サンタ・クルスの宿は水シャワーで、毎回気合がいった)、広い部屋で就寝。

快適すぎて寝すぎた。


朝早くサンタ・クルスに行ったお母さんの代わりにカリーナさんが朝ご飯を作ってくれた。
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ご飯に味噌汁、納豆、生卵、ヒジキに焼き魚。

こんな和食の完璧な朝ご飯食べたの何年ぶりだろう。

卵かけごはんが普通に食べれるのも養鶏が盛んな日本人村サン・フアンならでは。

味噌も納豆も、サン・フアンで採れた大豆から手作り。


あぁ日本って素晴らしい。

日本人って素晴らしい。


しばらくカリーナさんと最近の日本やボリビア、それからウチの旅の話なんかもして、カリーナさんが出かけるついでに資料館まで送ってもらった。

まず役場で資料館のカギを借りる。

ボリビア感ゼロ。
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サン・フアン内の区域名まで、西川区、中央区、富士区なんて、完全に日本かと思ったよね。
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オキナワの資料館同様、当時日本から持ってきた道具や衣類、当時のパスポートもある。
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写真がずらっと並んでる。
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九州から連絡船に乗って神戸に向かう。
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神戸に集まった移住者たちはそこで諸々の手続きをして、集合写真を撮った。
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そしていよいよ出発。
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西回りと東回りと両方のルートがあったそうだ。



サン・フアン到着後。

木が大きすぎて日本から持ってきた鋸ではどうにもならず、斧を使って木を切り倒す。
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木を切ったら野焼きをして平地を作る。
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家を建てる。
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周りにはワニやアナコンダ、ピューマもいた。
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当時の結婚式。和装にベールをかぶる。

ある物をなんでも使って着飾ったそうだ。
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運動会でのタバコの火つけ競争。今じゃありえない(笑)。
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成人式もあるし、盆踊り大会もある。

村の人皆がずっと一緒に生きてきた、ただのご近所じゃなくて大きな家族みたいな近さがあったかい。


敷地内には記念碑や慰霊碑もある。
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最後に伊藤食堂でお昼ご飯。

餃子、唐揚げ、ラーメン、生姜焼き、野菜炒め、そうめん、長崎ちゃんぽんなどなど。

破壊力抜群の品揃えです。

そんななか中で、ありました、冷やし中華。

私、好きな食べ物は冷やし中華です。

そうめんと迷って、やっぱりここは冷やし中華にしました。
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もうねぇ、幸せどころじゃないですよ。

速攻完食。

汁完飲。

うん、まだいける(笑)。

ここは行っとくべきでしょう!デザートにそうめん。

すいませーん、追加でそうめん頼んでもいいですかー!

はいはーい、小さいのもできるけどどうする?

あ、じゃぁ小さいのでお願いします(笑)。
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いやーくったくった!超大満足。

ちょっと食べ過ぎた。

小さいのにしといて良かった。


8か月ぶりの日本を満喫しました。

ボリビアですけど。



ボリビアに、日本があった。

むしろ日本より日本らしかった。

毎日日本食食べる日本人が日本にどれだけいる?

日本舞踊習ってる日本人が日本にどれだけいる?

日本の事を客観的に見れてる日本人がどれだけいる?

日本の良いところをたくさん知ってる日本人がどれだけいる?

最近の日本じゃあんまり見れないいい意味で田舎っぽい風景や習慣があった。



コロニア・オキナワとサン・フアンに来て、日本がもっと好きになりました。


以上、長くなりましたが、第3部にわたってお送りしました、日本人移住地訪問記、完。



米倉さん宅に泊まりたい方は、Air bnbで検索したら出てきます。

1泊100ボリ、プラスAir bnbで予約すると手数料が上乗せされます。

Air bnbからカリーナさんにメッセージ送れます。

安宿よりは高いけど、超快適、素晴らしい和食の朝ご飯付き、そして貴重なお話が聞けます。

昔は無償で旅行者を受け入れてらっしゃったそうですが、来る人も増え手間も増え、今は有料でされています。

そのほうがこちらとしても気軽に泊めてもらえるので良かった。

興味のある方は是非!



最後に全然関係ないんだけど、サンタ・クルス周辺は天然ガスが豊富で、ガスボンベを搭載してるガス車が多い。

乗り合いタクシーもガスで、行きも帰りも、ガソリンスタンドではなくてガススタンドによって給油じゃなくて給ガスしたんだけど、なぜか給ガス中は乗客全員車から降りなきゃいけないの。

なぜ?
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爆発する危険性があるのかとか思ったけど、別に車から離れなきゃいけないわけでもないし。

謎。

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by aya-papaya | 2018-05-30 05:00 | ボリビア | Trackback | Comments(0)
2018年 05月 29日

オキナワ尽くし。

この日はサンタ・クルスにあるスーパーオキナワに行ってみた。

日本食材が一通り揃ってる。

もちろんオキナワのパスタも売ってた。

食堂もあって、日本食も食べれる。

沖縄そばもある!

沖縄そば食べたかったけど、お弁当と迷って安いお弁当にした。

ボリビアに来て初めて箸で食べれるお米に感動。

ボリビアでいつも食べてる安食堂のお米のパサパサ具合と言ったらもう世界一かもしれない。

それはそれで嫌いじゃないんだけど。

お店の人とお客さんが、日本語とスペイン語ミックスで喋ってたのがなんかカッコよかった。

久しぶりの日本食に大満足。


思い切ってお店の人に、日系の方で話を聞かせてくれる人が知り合いにいないか聞いてみた。

そしたら、この建物の2階に沖縄県人会の事務所があるから、そこに行ったら誰かいるかもしれないと教えてくれた。

なので、意を決して、アポ無しいきなり訪問。


ちょうどお昼休憩中だった。

現在旅行中で、ボリビアの日本人移住地の事を聞いて実際に日系の方々に会いたくて来た事を含め簡単に自己紹介すると、まぁどうぞどうぞと緑茶とあんこのお茶菓子を出していただいた。

日本はどちらですか?と聞かれ、岐阜ですと答えると、岐阜と言えば今の朝ドラが岐阜ですねー、と。

旅行中なのでもちろんウチ自身は朝ドラ見たことなかったんだけど、ネットのニュースで朝ドラの影響で五平餅が取り上げられてるのを見てたので、岐阜が出てくるらしいことは知ってた。

毎日欠かさず朝ドラをリアルタイムで見てらっしゃるらしい。

朝ドラと言っても日本との時差は13時間。

ボリビア時間だとちょうど夕ご飯時、一家団欒しながらNHKの朝ドラを見るのが日系のお宅の普通なのだそうだ。

めったに日本にいないウチよりも今の日本の事を詳しく知ってるんじゃないかと思う。

知ってるのはNHKでやってることだけですよーと笑ってらっしゃったけど。


県人会の役割なんかも聞いてみた。

一世の方でスペイン語が完璧じゃない人のために、日本の親戚から荷物を送ってもらったりしたときの受け取りとか、ボリビアでの事務的な手続きの手伝いだったりって仕事もあるらしい。

でも基本的には日本の沖縄県庁との窓口業務だそうだ。

日系一世の方は特別な理由がない限り、国籍はずっと日本。

あくまで移民であって帰化しているわけではない。

例えば議員とか弁護士っていう職は、ボリビアではボリビア国籍でないと認められないらしく、そういう職に就いた一世の方は帰化されてるらしいけど、それ以外の人は日本国籍。

なので本籍は沖縄県。


沖縄県から視察団が時々来るそうで、そういうときの諸々の手配から通訳兼アテンドや、オキナワで移住50周年とか大きな行事があるときに、日本の沖縄から知事とか偉い人を招待したりっていうのも県人会の仕事。


二世以降、ボリビア生まれの人たちは、ボリビア国籍。

日本領事館で出生届を出せば日本国籍も持てる。

けれど、日本は二十歳以上の二重国籍を認めていない。

ボリビアに住む以上、ボリビア国籍である方が都合がいいので、ボリビア国籍を取るそうだ。

それでも大きな病気をした場合なんかは、やっぱり日本の医療のほうがもちろんいいので、日本に行って治療をうけるらしい。

そういう時は親戚の扶養に入ったりして日本の保険に加入できたり、うまいこと出来るようになってるらしい。


他にも、両親共が日系であれば家での会話は基本日本語で時々スペイン語の単語が混ざること。

ボリビアのご飯は脂っこくてめったに食べいなこと。

基本的に日本食を食べてること。

日本は留学したけど忙しすぎてボリビアでの生活のほうが好きなこと。

でも勉強するなら断然日本のほうがいいこと。

日系ボリビア人ですらボリビア人からチャイナチャイナって言われること。

学校で成績がいいと、周りのボリビア人から「あなたは日本人だもん、できて当然だよね」って言われること。

逆に勉強ができないと、「なんで日本人なのにできないの?」って言われること。

ボリビア人に物を貸すと返してくれなくて、返してって言うと「あなたは日本人だからいっぱい持ってるでしょ」って言われることとか、沖縄訛りの完璧な日本語で、面白い話をたくさん聞かせてもらった。


日本国籍の自分と、ボリビア国籍の日系人。

国籍の違いって、人と人とが関わる上でなんの意味もないなとつくづく思った。

置いてある冊子なんかもじっくり読ませてもらって、ついつい長居してしまった。


ちなみに、旅行者がいきなり県人会の事務所に来たのは5年ぶりくらいらしい(笑)。

5年前は沖縄出身のおじいちゃんだったそうだ。

どっからか県人会の事と、事務所の電話番号を聞いたらしく、いきなり「今サンタ・クルスのバスターミナルにいるんだけど」と電話があったらしい。

沖縄県民でもない旅行者がいきなり訪ねてきたのは前例があるんだろうか(笑)。


お忙しい中いろいな話を聞かせていただいてありがとうございました!

お仕事の邪魔してすみませんでした!



そしてのど自慢大会当日。

午後3時から開始の予定。

サンタ・クルスから途中のモンテーロまで1時間、モンテーロからオキナワまで大体40分。

でもどっちも座席が埋まると出発するタイプの乗り合いタクシーなので、出発までどれだけ待つかはその時次第。

そんなに長く待つことは一度もなかったけど。

それから、サンタ・クルスで泊まってた宿から、モンテーロ行きのシェアタクシーの乗り場までは歩いて40分。

余裕をもって宿を出たつもりだったけど、途中でお昼ご飯を食べたりしてたら、オキナワの文化会館に着いたのが3時半になってしまった。

2日前に来たときは2台くらいしか停まってなかった駐車場が車だらけ。

入口で遊んでた男の子に「おはよう!」と元気よくあいさつされ、「おはよう!でももうこんにちわだよー」なんて会話をして。

始まっちゃってるかなーと会場に入ると、まだ始まってなかった。

さすが、ボリビアタイムなのか沖縄タイムなのか(笑)。


入口での男の子との挨拶から始まり、もうその先は完全に日本。

ボリビア的要素は1%くらいしかない。

まぁもちろんハーフやクォーターの人もいるんだけど、聞こえてくる会話もほぼ日本語。

大きく飾られた、沖縄から送られた芭蕉布の歌詞が書かれた垂れ幕。
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オキナワ青年部のドリンク販売コーナーがあり、婦人部のお弁当、軽食販売コーナーがあり、あーこういうの町内会のお祭りとかで昔見たことあるー。

実行委員の方を教えてもらい、一応挨拶と、写真を撮ってもいいか許可をもらう。

二つ返事でどうぞどうぞ、と。

出来れば一世の方からお話を聞きたいんですけど、と聞くと、ここにいるおじぃおばぁは大体みんな一世だから話してみたらいいですよー、と。

なんだか歴史上の人物が目の前にずらりと並んでいるような、恐れ多くて気軽に声かけれない、ここまで来てビビりなウチ。

たまたま近くにいたJICAのシニアボランティアの方が話しかけてくれた。

私も日本人なんですよ、と。

会場にいる人たちは一世の方々を除けばほぼ全員日系ボリビア人。

どっからどう見ても日本人にしか見えないけど、彼らはボリビア人だった。

完全に忘れてた。

なんだろうこの形容し難い、経験したことのない不思議な空間。


もともと日本で保健師をされてたこのボランティアの方は、今オキナワで、デイサービスに通われてる一世の方々の健康管理のお手伝いをされているそう。

オキナワにいる一世の方々はほとんどがもう80歳以上。

デイサービスで、運動をしたり、民謡や三線、大正琴なんかを習ったり、いろんな事をされている。


デイサービスのなかで唯一の男性、比嘉さんの事を教えていただいた。

御年80歳。

杖をついてはいるけれど、まだまだお元気だ。

お肌もツヤツヤ。

デイサービスの中でいつも中心にいて、歳をとって昔みたいに動くことはできないけれど、それでも自分たちにはまだまだ出来ることがあるはずだ、と周りのおばぁ達を励まし盛り上げ引っ張っていっているそうだ。


そうこうしてるうちに第5回シニアのど自慢大会が始まった。
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進行は完全にのど自慢大会。

唯一の違いは採点がないこと。

しっかり最後まで歌い切ります。
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みなさんの力強い演歌。

聞いてるこっちは自然と顔が緩む。

三度の飯よりカラオケが好き、と紹介されてた比嘉さんは、さすが、一番上手かったと思う。


間に休憩が入り、日ボ学校の三線クラブの演奏と、沖縄歴史研究クラブの沖縄の伝統的な踊りの披露。
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こうやって学校で沖縄の文化に触れて身近に感じてくれるのは、沖縄人じゃなくても日本人として嬉しいね。


出場者全員の歌が終わり、結果発表までしばしの休憩。

今しかない!と勇気を出して、比嘉さんに話かけに行った。

自己紹介をして、少しお話を聞かせていただきたいんですけど、と聞くと、気軽に応じてくださった。。


フィリピンで生まれて、7歳の時に家族で沖縄に戻ってきたこと。

ボリビアに移住してきたのは16歳の時。

移民希望者が多くて、4000家族の中から健康面、職業、経歴などを考慮して400家族が選ばれたこと。

オランダ船に乗って西回りで2ヵ月かけてブラジルのサントスに着いて、そこからボリビアに入ったこと。

ようやくたどり着いた、後にうるま移住地と呼ばれる場所は完全なる原生林で、最初は泥水を飲んで生活していたこと。

熱病で何人も亡くなり、アメリカの衛生局から医師が派遣されてきたものの原因がわからず、移転を余儀なくされたこと。

それでも今のオキナワの土地は豊かで農業に向いていて、結果的には移転して良かった事。

ボリビアから離れていく人たちもいる中で、ここまで来たからにはこの場所でどうにかやってやろうという一心でがむしゃらに働いたこと。


資料館で情報としては頭に入っていたけれど、実際にそれをやってこられた方からの生の話は重さが何倍も違った。

のど自慢大会の審査が終わって結果発表になったので、もし終わってから時間があればもう少しだけ聞かせてくださいと言うと、ええ、いいですよ、と。


のど自慢の結果発表は順位をつけるのではなく、みなさんが何かしらの賞をもらえるようになっていた。
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手作り感たっぷりののど自慢大会で、緊張しながら歌うおじぃおばぁ達、終わった後のほっとした表情なんかにかなり癒された。


のど自慢大会がおわると、その場で宴会が始まった。

おじさんたちはビールにおつまみ。

女性陣はお弁当にお惣菜。

うん、こういうのやっぱり子供のころ町内会の集まりで見たことある。


比嘉さんのところに行くと、ご家族の方たちが一緒にご飯を食べようと待ってらっしゃったので、お待たせするのは悪いので大丈夫です、気にしないでくださいと言って失礼しようとしたら、大丈夫ですよ、と引き留めてくださり、ご家族の方もわざわざここまでいらっしゃったんだからゆっくり話されてください、と言ってくださった。

恐縮しながら話の続きを聞かせてもらった。


戦前に、ゴムの仕事でペルーからボリビアに入ってきていた沖縄人が9名ほどいたそうで、戦争で沖縄が焼け野原になったと聞いて、同胞を助けるために移住計画を進めたという資料があって、彼らのお陰で今のオキナワがある。

そして沖縄が日本に返還されてから、日本の援助のお陰で農業が一気に飛躍し安定した生活が送れるようになって、本当に有り難かった。

沖縄の文化、日本の文化を新しい世代に伝えて行きたい。


実は比嘉さん、日ボ学校の三線クラブで子供たちに三線を教えている。

どうりで三線クラブの発表の時、のど自慢の出演者席ではなくて、裏方席から子供たちを見守っていたわけだ。

しかも驚いたのは、比嘉さんの三線歴。

昔から三線を弾いてたわけではないと言う。

15年前に初めて日本の沖縄からオキナワの日ボ学校に日本人の教師が派遣されて来たとき、その先生が25丁の三線を日本から運んできてくれて、日ボ学校に寄贈してくれたそうで、常に新しいことに挑戦してきた比嘉さんは、これだ!と、その先生から初めて三線を教わり、その後それを受け継いで手入れをしながら、子供たちに教えるようになったそうなのだ。


自分に語彙力がなさすぎて、うまく言い表せないんだけど、とにかく「すごい」と思うことばっかり。

もうそれしか出てこない。


あまり長く引き留めるのも申し訳ないので、お礼を述べて握手をして、最後に写真を撮らせてもらった。

ブログに載せる許可は得てないので載せないけど、素敵な表情の写真が撮れました。



ジャングルを切り開いてゼロからすべてを作ってきたそんな荒々しさは微塵も感じない、素敵な笑顔と穏やかな話し方。

それでもそこにずっしりと感じられる力強さ。

いきなり現れたどこの馬の骨ともわからない孫ほどの歳の旅行者に、とても丁寧に真摯に対応してくださったこと。

こんな人になりたいと心から思った。


ゼロを知っている人は1の有難味がわかる。

ゼロを1にした人は1の大切さと、ゼロは1にできるということを知っている。

そして1を10にできることも知っているし、10がいかに素晴らしいかということも知っている。

今あるものの大切さと有り難さを知っていて、人生をよりよくする方法、人生を楽しむ方法を知っている。


そしてふと、ジャングルを開拓していった移民の方たちもすごいけど、日本で生きてきた同世代の人たちだって、環境は違えど戦後の混乱と貧困のなか、同じように死に物狂いで生きて、働いて、日本を今ある姿にしてきたんだよなと思った。

この世代の人たちはすごい人ばっかりだ。

日本のおじいちゃんおばあちゃんにも昔の苦労話なんかを色々聞いてみたくなった。

去年富士山で働いてて感じた事を思い出した。

お年寄りは誰に対しても丁寧にとても謙虚に接してくれる。

若造の私たちにも敬語で、偉そうな態度なんて取らない。

それより下の世代の人たちは、こっちは客だぞ、と言わんばかりの態度の人が少なくない。

やっぱりゼロや1を知ってる人は、謙虚になれるんだと思う。



最後に実行委員の方にお礼を言いに行くと、時間あるならお弁当一緒に食べましょうと、お弁当をご馳走になってしまった。

婦人部の輪の中で、今度は逆にこっちが質問攻めに(笑)。

もっとゆっくりしたかったけど、もう夜だし、これからまた2時間かけてサンタ・クルスに帰らなきゃいけないので、お礼を言って文化会館を後にした。



いろんな事を学ばせてもらった。

このタイミングでオキナワに行けたこと、いろんな方から直接話を聞けたこと、ホントに運が良かった。


感謝。

のど自慢大会最高でした!

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by aya-papaya | 2018-05-29 06:43 | ボリビア | Trackback | Comments(0)
2018年 05月 27日

コロニア・オキナワ。

トロトロからコチャバンバに戻って、そのまま夜行バスでサンタ・クルスに向かった。

当初来る予定ではなかったサンタ・クルスに遥々来たのは、日本人移住地に行きたかったから。

あと、町の広場の木にナマケモノが住んでるって聞いたから、ナマケモノ探しに。

結果、日本人移住地で得たものが想像以上に濃く、ナマケモノの事はすっかり忘れて、サンタ・クルスを出た後ではっと思い出して落ち込んだ。

街に住んでる野生のナマケモノ見たかった。。。



朝、宿にチェックインして昼前までダラダラしてから、サンタ・クルス自体には特に見どころもないので、さっそく2つある日本人移住地のひとつ、オキナワに行くことにした。

もうこの時点でサンタ・クルスではやる事ないって完全にナマケモノの存在忘れてるもんね。


トルフィーという乗り合いタクシーに乗り、途中のモンテーロで乗り換えてコロニア・オキナワへ。


道すがらサトウキビ畑が続き、沖縄をさっそく感じる。
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そして見えてくるこのゲート。
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ボリビアのオキナワです。

沖縄じゃなくてここはオキナワです。


村の中心でトルフィーを降りるとさっそくこれ。
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隣にはこんな建物もある。閉まっていたけど食堂らしい。
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ゲートをくぐるとすぐ、オキナワ第一地域開発振興会の建物とその向かいに日本から寄贈された鳥居がある。
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その先には診療所。
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学校もある。
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資料館のある文化会館の場所がわからなかったので、開発振興会のオフィスに聞きに行った。

建物を入ってすぐの部屋にいた女性に、「こんにちは。すいません、資料館に行きたいんですけど、文化会館はどこにありますか?」と普通に日本語で聞く。

すると「この道をあと100メートルくらいまっすぐ行くとありますよー。」とやっぱり普通に日本語で帰ってくる。

注)ここはボリビア。

お礼を言って文化会館に向かう。

途中にはスポーツグラウンド。
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そして文化会館。
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立派な、そしてなんとも普通な文化会館。

注)ここはボリビア。

日本から移民としてボリビアに来て、この地で亡くなった方々の慰霊塔。
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そして資料館へ。

やっぱり日本語で、「写真撮っても大丈夫ですか?」

「はい大丈夫ですよー。」

注)ここはボリビア。



ここでこのコロニア・オキナワの歴史を簡単に紹介。


時は遡り100年以上前の話。

ペルーへ渡った日本人移民の一部がアンデスを超えてボリビアに入ったと言われている。

当時ボリビアではゴム農園での仕事があり、沖縄出身者がその仕事に就いていた。

2018年の今年、沖縄県民ボリビア移住110周年だそうである。


時代は流れ、第2次世界大戦終戦。

沖縄出身者による戦前移住者で構成する、在ボリビア沖縄県人会が故郷の惨状を聞き、同胞のために何かできないかと立ち上がる。

沖縄移民を受け入れるべくボリビア政府に掛け合い、ボリビア政府と当時アメリカ統治下の琉球政府との間で移民協定が結ばれる。

1954年8月15日、当時の「うるま移住地」に第一陣が入植。

ボリビア政府が無償で移住者に提供してくれた土地は原生林だった。

木を切り倒し、野焼きをし、井戸を掘り、家を建てるところから始まった。

しかし翌年、原因不明の熱病で15名が亡くなり、河川の氾濫などもあり移転を余儀なくされ、現在のオキナワ移住地に落ち着いた。

1954年から1977年までに710家族、3,334名が沖縄から入植。

現在ではオキナワ第一、第二、第三地区と広がり、オキナワ全体の日系人口は二世、三世、四世まで約900名。

小麦とサトウキビが主な生産物である。

沖縄と言えばサトウキビだが、意外にもここオキナワのサトウキビは干ばつに強い作物ということで2003年から2004年にかけて導入されたそうで、意外と最近の事だった。



これを踏まえて、資料館の写真を少し。

当時米軍統治下だった沖縄で使われていた紙幣。
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無事と健闘を祈る、寄せ書きの書かれた日の丸。
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オランダの貨物船で2ヵ月かけ、西回りで世界中のいくつかの港に停泊し積み荷を降ろしながら、ブラジルのサントスに向かった。
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船内では、2段ベッドがずらりと並んでいて、ベニヤ板などで仕切りを作って家族のプライベートスペースを確保していたそうだ。

2ヵ月後サントス港に到着し、そこからさらに2週間かけて電車でボリビアに向かう。
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沖縄から持ってきた三線。
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当時、持っている人がほとんどいなかったレコード。

1960年代まで青年会のダンスパーティーに使われたそう。
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当時の沖縄ならではの物も。

米軍が捨てていった爆弾ケース。これに家財道具を詰めて運んできた。
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他にも米軍で使われていたタンクや軍服などもある。

U.S.と刻印された食器類。
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驚くのは爆弾で作った鍋や味噌入れ。
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不発弾の火薬を取り除き、再利用していたそうだ。


他にも沖縄から運んできた農業に必要な道具、大工さんもいれば獣医さんもいて、それぞれが大事に持ってきた仕事道具など、当時使われていたものがたくさん展示してある。


入植当時から最近に至るまでの写真がたくさん並んでいて、オキナワ自体の、そして人々の生活の変化が良くわかる。

家が建ち、畑を作り、コミュニティーができ、役所を作り、学校を作り、道路を作り。

原生林だった場所が村になった。

泥水しかなかった土地に、最初は数メートルの手掘りの井戸を掘り、後に井戸を掘る機会が日本から届くと、ようやく透明の水が飲めるようになった。

アメリカから派遣された医師がいたけれど、沖縄から看護師も来て、診療所もできた。

人が増え、学校を増やし、幼稚園もできた。


農業も最初はすべて手作業だった。

1972年に沖縄が日本に返還されると、海外協会連合会(現JICA)の援助が入るようになり、助成金も入り、一気に農業の機械化が進んで生産も飛躍的に伸び、ようやく落ち着いた生活ができるようになったそうだ。


そこにたどり着くまでの苦労は想像もできない。

何度も洪水に襲われ、ようやく出来上がったものを失い、システムが整ってきたとはいえ良い環境とは程遠く、日本の親戚を頼って帰国する人も。

ある程度の資金がある人はもっといい環境を求めてブラジルやアルゼンチンなどに移住していった。

お金がなくて他に行く場所がなかった人がボリビアに残ったんだよ、と2世の方が自嘲気味におっしゃっていたけれど、この土地で一旗揚げてやろうと、諦めなかった彼らがいたから今のオキナワがある。


運動会、駅伝大会、バレーボール大会、野球チーム、夏には小麦の収穫に合わせて毎年豊年祭が行われる。

歴史クラブで沖縄の歴史を学ぶ子供たち、三線教室もある。

学校には沖縄から派遣された日本人の先生もいる。

青年部、婦人部、デイサービスもある。

ママさんバレーだってある。

日本の社会がある。


そしてボリビア一の小麦の産地となったオキナワで作られている製品はボリビア中に流通している。
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資料館でオキナワの歴史はよくわかった。

出来れば一世の方に直接お会いして話を聞いてみたい。

なんともタイミングのいい事に、資料館を訪れた2日後に、シニアのど自慢大会が開催されるという張り紙を発見。
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注)ここはボリビア。


これだ!

文化会館の人に、ただの旅行者ですけど見に来てもいいですか?と聞くと、ぜひ遊びに来てください、との返事をもらった。

あわよくば一世の方と直接お話をすることができるかもしれないという期待が膨らむ。

ウキウキしながらとりあえずサンタ・クルスに戻った。


長くなるからとりあえずここまで。

最近寝不足続きだ。

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by aya-papaya | 2018-05-27 11:58 | ボリビア | Trackback | Comments(0)
2018年 05月 25日

トロトロその2。

トロトロ2日目はトレッキングに行ってきた。

2つの半日コースをくっつけて8時間のトレッキング。


最初っから恐竜の足跡!!

草食恐竜のでーっかい足跡。
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なぜこんなにくっきりと化石化したのかは謎。

何千年だか何万年だか前の恐竜が生きてた時代の地面が今の時代にむき出しになってる不思議。



しばらく歩くと展望台。
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この渓谷を谷底まで下ります。
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滝!
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ここでお昼ご飯。

滝つぼで泳げるんだけど水めっちゃ冷たい。

泳いでたのは元気のいい欧米人数人だけ。


お昼ご飯の後がなかなか凄かった。

前日のものすごい洞窟探検してますもん。

このトレッキングがただのハイキングで終わるわけはないとは思ってましたけど。

それでも想像以上にすごかった。

写真とか撮ってる余裕なかったからね、写真、1枚も無し笑。

カメラもぶつけないように終始バッグにしまってたから。

1メートルくらいの岩がゴロゴロしてるところをよじ登りながら進んだり、ロッククライミングとか、5センチもないくらいの足場を岩の壁にへばりつきながら渡ったり、ちょっと滑ったら川まで落ちちゃうようなポイント多数。

よくもまあトレッキングと称して旅行者を連れてくるなと感心するほどのレベルの高い道。

ってか道じゃない、崖登り。

そんな道を登ったり下りたりしていくつ目かの滝に到着。
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はい、ここをまた滝つぼまで下ります。

水キレイ~相変わらず冷たいけど。
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ここからまた怒涛の登りで写真なし。

余談だけど翌日、足よりも腕含め上半身が筋肉痛になった笑。


渓谷を抜けると、恐竜の足跡だらけの大地。
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これは肉食恐竜の足跡だよ、と丁寧に説明してくれるガイドさん。
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小さい足跡も。
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全体的に小さく見えるのは、元はもっと大きかったんだけど、雨や風で削られていって、今は深い中心の部分しか残ってないから、小さくなってるんだそう。

たくさん見てるともう矢印にしか見えなくなる。



最後に、大量のボコボコ。
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これがあと何千年か何万年かたったら、中国の石林とか、マダガスカルのツィンギーみたいになるのかなー。


世界的にも稀な、恐竜の足跡の残る場所で、もっとちゃんと保護しなければいけなんだけど、そのための費用は村が出さなきゃいけないらしく、村にもちろんそんな大金はなく、ちょっとずつ入場料を上げたりして、フェンスで囲ったりなんてしてみたりはしてるんだけど、まだまだ。

ただ逆に言うと、直接足跡に触れるのは今だけかもしれない…!




3日目は亀のお墓と言われる場所まで散歩。

ここはガイド無しでも行けると聞いたので、一人でテクテクと歩いてきた。

道すがらの景色がやっぱりいい感じ。
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亀のお墓に着くとちびっこ二人に出迎えられた。

なんとも緩い笑。

スペイン語は5ボリ、英語は8ボリという値段設定。

でも別に英語が喋れるわけでもなく、説明書きもスペイン語オンリーでその値段設定の意味は不明。

英語喋れるの?ってお兄ちゃんに聞くと、ううん、でも韓国語は話せるよ!アンニョンハセヨー!

なぜ???笑

そんでもってウチ小銭持ってなくて20ボリ札しか持ってなくてお釣りある?って聞いたらお兄ちゃんのほうが小銭をかき集めてくれたんだけど、10ボリしかなくて困り果ててたから、それでいいよ、と10ボリだけお釣りをもらった。


亀のお墓っていうのは、たぶんこっから亀の化石がいっぱい出たって事なんだと思う。

写真禁止の建物内に亀の化石が2体あった。

外のエリアはお兄ちゃんが鍵を開けてくれて、兄弟で道案内してくれた。
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こっちに亀の化石があるよ!
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うん、確かにそれっぽいものが落ちてる。


こっちにも亀の化石あるよ!
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うーん、おばちゃんには土器にしか見えないけど、心がピュアじゃないからかしらね。


向こうにも亀の化石があるよ!
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うーん、たぶんそこオトナは入っちゃいけないとこだと思うから、おばちゃんはこっちの順路を通るよ。


ちびっこに振り回されて遊ばれてきました。


そして元来た道をテクテク帰っていったのでした。
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なんだかんだ4泊もしてしまったトロトロ。

宿も食事も安いし、村人はフレンドリーだし、景色はきれいだし、時間がゆっくりと流れるトロトロ。

久しぶりにWi-Fiとかなくて外界と完全に遮断された場所。

日陰でパパイヤジュース飲みながらぼーっとしたり、読書したり。

ぼーっとしすぎて気づいたら犬にマーキングされてたのは内緒の話。



突っ込みどころ満載のトロトロでした。

恐竜の足跡と、なかなかできないアドベンチャーを求める人はぜひトロトロへ!
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by aya-papaya | 2018-05-25 05:31 | ボリビア | Trackback | Comments(0)
2018年 05月 24日

トロトロその1。

コチャバンバからガタガタ道をミニバスで4時間。

ボリビアに来るまで名前すら聞いた事のなかった場所。

聞いたら忘れない名前トロトロ。


恐竜の足跡が残る不思議な村。

村は恐竜だらけ。
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やたら立派な恐竜があちこちにいます。

こういうのにお金をかける前に、村までの唯一の交通路であるあのガタガタ道を先にどうにかしたほうがいいんじゃないかと思う。

そしてジュラシックパークのロゴをそのまま字だけTOROTOROに変えて使っちゃうのも流石。

ま、それは置いといて。



恐竜の足跡以外にもいろいろ見どころがある。

まだまだこれから観光地化されていく段階で、まったくもって整ってないので突っ込みどころは満載。

まずガイドはみんな村人なので、全く英語は通じない。

みんなそれぞれ農業とかお店とかと兼業で、仕事が暇な日に朝事務所に行って、今日空いてるんでガイドできますってな感じでお客を待つシステム。

まぁ基本的にいい人が多いんだけど、なんせスペイン語のみなのでスペイン語が分からないとどうにもならない。

しかもいろいろ説明してくれるんだけど、いかんせん見どころが、恐竜の足跡だったり、古代の人が暮らした場所だったり、洞窟だったり、渓谷の地層だったり、歴史的か科学的な内容ばっかりなので、専門用語が理解できるレベルのスペイン語が分からなければ、ちょっと喋れる程度じゃやっぱりどうにもならない。

それでも必ずガイドをつけなきゃいけない決まりなのでしょうがない。

ま、安いからいいんだけど。


まず村の周辺からして絶景。
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なんでこんな地形になったのかの説明もあったけど、隕石がどうのこうのって以外理解できなかったので詳細は不明。



まず最初に行ったのはITAS。

古代の人が住んでたらしい場所。

多少壁画とかが残ってたりするんだけど、説明が全然理解できなかったので、詳細は不明。
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隙間から水がしみだしてるところも。
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なかなか神秘的な場所。

外から見るとこんなところ。
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周りの景色はやっぱり絶景。
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岩陰にビスカッチャ発見。
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なんか恐竜恐竜言うもんだから、岩肌が恐竜の背中に見えてきた。
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2ヶ所目はUMAJALANTA洞窟。

1kmもない距離を2時間かけてぐるっと一周するんだよ、覚悟はいいかい?とでも言いたげにニヤニヤするガイド。

ヘルメットとヘッドライトを装着して洞窟内に。

大きなカメラは持って行っても邪魔なだけで使えないのでスマホのみ。
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入口は広いけど中に入ると一気に狭くなる。
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かなり立派な鍾乳洞。


入って早々、這いつくばらなければ通れないポイント。
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そこを抜けると広い空間に出る。
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滑り台ポイント。
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この時点でもうすでにみんなのズボンはかなり汚れてる。


立派な鍾乳石があったり。
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そしてこの後は、写真撮ってる場合じゃないくらいあり得ないルートを通っていく。

這いつくばるどころのレベルじゃないからね。

これはまだ序の口。
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ギャグじゃないからね、このべたっと寝ころんだ状態でしか通れない高さしかないからね、ここをズリズリ進んでいくからね。


いや、無理でしょ、ここは通れないでしょ、って冷静に突っ込みたくなるような穴を何度も通り抜ける。

奈良の大仏の柱に開いた穴がもっとクネクネと続いてるところを通り抜ける感じ。

出口見えないんですけど?

ホントに通り抜けれるの?

途中でつっかえて出てこれなくなったら終わりだよね?

そもそもこの穴にどうやって体入れるの?

っていう感じ。


まぁホントにヤバいところは通らなくても迂回路があって、先頭で穴に入ったのに、砂まみれになって通り抜けた先にガイド待ってて、おい!ここ通んなくてもいいんじゃん!っていうオチがあったり。

でもここぞとばかりにガイドが指し示すあり得ない穴全部通ってやったさ。


あーこういうの消防訓練で消防士さんがやるの見たことあるわーって感じでロープを伝って下りたり登ったりするポイントもあり。


後半はコイツ出来るとガイドに見初められ、先頭行っていいよ、と先頭歩かせてもらったんだけど、たぶんこれが道だろうと思う、人が通れそうな穴のほうに向かうと、後ろからそっちじゃなくてあっちだよ!と、いつもいつもことごとく絶対にこれは通り道ではないだろうという穴を指される。

え?どうやって?無理でしょ!

と毎回独り言を言いながらどうにか進んでいった。


いやーなんていうか、アドベンチャー。

たぶん先進国じゃ危険だから普通の人入れないレベルの洞窟だね。

さすがボリビア。

洞窟内、吐く息は真っ白なのにがっつり汗かきました。


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by aya-papaya | 2018-05-24 11:19 | ボリビア | Trackback | Comments(0)
2018年 05月 19日

コチャバンバ。

ウユニからオルーロを経由してコチャバンバに着いた。

唯一の観光ポイントであろう、リオデジャネイロのキリスト像よりもデカいという丘の上のキリスト像すら見に行かなかったくせに3泊もしてしまったのは、宿が安くて、朝ご飯付きで、Wi-Fiも悪くなく、更に食べ歩き天国で食の種類が豊富でなんでも美味しくて安かったから。

こぎれいと噂の新市街すらも行かず、エリアがデカすぎて一体どこから何処までを市場と呼ぶのかもよくわからないくらいの市場をひたすら徘徊してました。

迷子になっては新たなエリアを発見して散策する。

迷子って楽しい。

たまには故意に迷子になってみるべきだと思う。

GPSに頼りすぎるのは好きじゃない。

スマホで地図ばっか見ながら、風景を一切見ずに最短距離を突き進むのは楽だけど楽しくないよね。

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ペットエリアは酷かった。

籠の中にぎゅうぎゅう詰めの子犬や子猫たち。

ニワトリやウサギが同じかごの中に押し込められ、フンやおしっこもそのまま。

痩せて毛並みも悪く、全然可愛くない。

誰が買うんだろうか。

そして買われなかった子たちはいつかそのうち、路上に捨てられるんだろうか。

かわいそう過ぎて写真も撮れなかった。




そういえば南米に来てからほとんど人の写真を撮ってないなぁと気が付いた。

風景の写真は気を使わなくていいし、いちいち写真撮っていいか聞かなくていいし、怒られることもないし、楽だし。

人の写真を撮るときは断られることもあるし、その度に少なからず傷つくし、それが続くと気力が続かないし、そんななか最高の表情が取れた時はほんと嬉しいんだけど、やっぱかなりのエネルギーを消費するんだな。

自然な表情は盗撮しないと撮れないし。

それに市場みたいな人の多い場所は特に、カメラを持たずに歩いたほうが周りに溶け込める。

カメラを持って歩くとどうしても観光客という見えない壁ができてしまう気がする。

のはウチだけかもしれないけど。

所詮カメラ持ってようが持ってなかろうが観光客だし。

こういう時一眼はデカくてやだなと思う。

スマホとかであればそこまで気にせずパシャパシャ撮れるのに。

いかんせんウチのスマホは安物だから、カメラは記録用にしか使えない。

ま、いろんな言い訳があるけど、雰囲気を感じながら、そこに溶け込むにはカメラは邪魔だったりして、別にプロのカメラマンじゃないしまいっか、って感じで写真撮らずに終わる今日この頃。

余談でした。



開店祝い的なお祝いをしてたんだけど、踊ってる人たちがみんなして、すごいやらされてます的な表情だったから、なかなか見ごたえがあった笑。
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他にも写真あるけど、やらされてます感が半端なくて、彼女たちの名誉の為にアップはしません。


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by aya-papaya | 2018-05-19 23:54 | ボリビア | Trackback | Comments(0)
2018年 05月 14日

2度目のウユニ。

天気予報をチェックしながらツアーに申し込んだ。

新月ではないけど、月が昇るのは夜中だから、それまでは満点の星空のはず。


雨期は終わったけど、まだまだ鏡張りは見れる。

どこまでも鏡張りではないけど、写真を撮るには十分な範囲。


塩の結晶が明らかに3月よりも大きい。

太陽の光でキラキラ七色に光っててきれいだった。
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空は確実に3月よりクリアで青い。
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そして何度見ても飽きない鏡張りの夕焼け。
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星が出てきた。
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天の川の根っこが町の光と被っちゃってるのがちょっと残念だけど。
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それでもしっかり星が水面に映って綺麗だった。

3月には見れなかった絵。

大満足。


そのまま朝日のツアーにも参加。

やっぱり朝方は月が出てきてるから明るすぎて星はイマイチ。
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持ってる防寒着全部出動させたけどガクガクだったよね。

長靴凍ってたしね。
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最後はデイツアー。

塩湖の中で水が湧き出ているポイント。
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20メートルの塩の層の下には水があるんだそう。


雪かきした後にしか見えない。
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いつもの旗のとこ。
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そして乾季にどうしても見たかったこれ。
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初めてウユニ塩湖という存在を知った写真のどこまでも続く六角形。

乾季が始まったばっかりで、まだ六角形が薄いけど、それでも見渡す限りの六角形であることに違いはない。

15年夢見た景色をようやくこの目で見ることができた。


8月くらいになると濃い完璧な六角形が見れるらしいけど、その時期にまたウユニに来るのかどうかはまぁその時になってみないとわからない。

人生なるようになる。

とりあえず今のところ、ウユニで見たいものは全部見た。

満たされた。


最後の夕焼け。
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ほんと何回見ても、いつも違っていつも美しい。

何度見ても感動。

ありがとうウユニ。



この時期のウユニ、日本人全然いないし、鏡張りも六角形も見れるし穴場かも!

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by aya-papaya | 2018-05-14 07:52 | ボリビア | Trackback | Comments(0)